日本の建築業界の「変化」や、この先の未来を考えていくために、まずは歴史をひもとくことにしたいと思います。
日本の木造建築は、激しい寒暖の差、湿度、地震、台風といった日本の気候風土を背景に、独特な進化を遂げてきました。でも、実はその「独自性」が意識されるようになったのは近代以降のこと。海外との交流が盛んになる中で、はじめて客観的に評価されるようになったのです。
桂離宮の美しさに涙したというドイツのブルーノ・タウトをはじめ、日本建築界の基礎を築いたイギリスのジョサイヤ・コンドル、帝国ホテルの設計を手がけたアメリカのフランク・ロイド・ライトなど、多くの著名建築家が日本建築を高く評価し、世界でも広く知られるようになりました。
今では世界中に日本の建築様式や、庭園が広まり、国外でも500 を超える作品が公開されています。こうして国境を越えて積み重ねられてきた歴史の中から、日本の建築文化の遺伝子を受け継いだ建築家が続々と誕生し、世界中で活躍しています。
「建築界のノーベル賞」とも言われる『プリツカー賞』の受賞者を見てみると、1987年には丹下健三氏(代表作:代々木体育館)、1993年には槇文彦氏(代表作:幕張メッセ)、1995年には安藤忠雄氏(代表作:表参道ヒルズ)、2010年には妹島和世氏と西沢立衛氏によるSANAA(代表作:金沢21世紀美術館)、2013年には伊東豊雄氏(代表作:台中国歌劇院)、2014年には坂茂(代表作:紙の教会)と、日本の建築家が7回も受賞しており、これは欧米各国を抑えて国別では最多となっています。
また、日本を訪れる観光客数は既に年間2,000万人を超え、政府も東京オリンピックが開催される2020年には4,000万人、2030年には6,000万人という目標を掲げています。ちなみに現在、世界で年間6,000万人以上の観光客数を集めているのはフランス(約8,500万人)、アメリカ(約7,700万人)、スペイン(約6,800万人)の3ヵ国のみです。※2015年時点
海外からの観光客を惹きつけている大きなファクターはやはり「食」だと言われていますが、「建築」もまた大きな要素。日本を訪れる外国人観光客の人気のスポットには京都、白川郷といった建築物を含む世界遺産のあるエリアだけでなく、高山や倉敷、大内宿などの美しい街並みを有する地域も数多く名を連ねています。
今回は日本の文化や歴史を語る上で、建築がいかに大きな存在であるか。その一部についてご紹介してきましたが、この大切な日本の財産が今、危機的な状況に陥っていることをご存じでしょうか。次回は、今、日本が直面している建築文化の危機についてお話ししたいと思います。
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